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迷子 [旅行]

赤城山で道を間違えた、大阪の小学校6年生の男女2人。無事下山できて本当によかったですね。沢伝いに降りたことの間違いに気づいて登る方向に歩いたって、判断の冷静さに感心してしまう。えらい!

携帯していた食料を分け合い、身を寄せ合って寒さに耐えた。彼らは普通には遭遇できない貴重な体験をしたのだ。もし2人が互いに憎からず思っている友人同士だったとしたら、この事件で仲は深まるかも。少なくともそれは、彼らの人生最大の思い出になるでしょう。

実は私にも小6のときの修学旅行で同様な体験をしたことがある。現場は山ではなくて島根県の松江市。40名ほどの団体で、博物館や松江城を見学して旅館へ帰る途中だった。

行列の最後尾にいた私たち仲良し6名は、勝手に道草を食ったりして列から離れてしまい、何時しか団体に追いつく術をなくしていた。

6名のグループとあっては心細さもほどほどで、そのうち何とかなるだろうと、だらだらとあてもなく歩き続ける。

疲れがピークになったころ、間違いなくやってくるのが仲間割れ。5対1に割れてしまった。
そうです。1人になったのは私です。

私は旅館を出て間もなく松江大橋という長い橋を渡ったのをはっきり憶えておりました。欄干の柱の頭に付いていた、黒いネギ坊主形の飾りが目に焼きついていたのです。

ひとりになった私は大きな川に出くわす。橋が何本か見えていた。そのうちの1本に違いないと見当をつけてネギ坊主を探しながら、川に沿って歩く。

運よくネギ坊主は間もなく見つかった。旅館へもすぐに帰り着きました。5人組は探しに出た先生に見つけてもらい帰ったばかりでした。6人がこっぴどく叱られたことは言うまでもありません。

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橋の下で 今も行われているしじみ漁

昨年10月。玉造温泉での同窓会に出席した私は、ついでに松江に立ち寄り、あのネギ坊主を探しました。博物館や松江城よりも、あのネギ坊主だったのです。

あれは9年前。カンボジアから帰ってきたばかりの私を取り囲む会を、京都でお寺の住職になっていた同級生が世話をやいて開いてくれました。私は海外生活が長くて、定例の同窓会に参加する機会に恵まれずにいたからです。

場所は比叡山の参道脇にある料亭。メンバーは近畿地方在住の十数名。幹事は京都の住職と大阪の建材会社の社長の2人でした。

幹事2人は落ち合う場所を2ヶ所に決める。一つは京都駅は新幹線の乗り換え口。他方は京阪東山三条駅でした。京都駅には大阪の社長が張り付き、東山三条では住職が待ち受けるという態勢です。

関東から出かけるのは私一人のみです。私は新幹線で京都駅に入ったのですが、時間が早すぎたため誰も来ておらず、住職が待つ東山三条へ向かいました。

住職はすぐに見つかり、用意してあった小型バスの中で、昔話に夢中でした。一方京都駅では、社長と落ち合った連中が、新幹線で現れるはずの私を、この便か次の便かと、待ち続けていたのでした。

こうして2時間も空費した後、待ちくたびれた社長が住職と連絡をとり、私が既に東山三条に住職と一緒にいることが分かり、結局2時間半遅れで、全員合流と相なったのでありました。

勝手に動くということが引き起こす混乱は、結構面倒な結果をもたらすものですなあ。
私にはそんな癖でもあるのでしょうか。いや、これも今となってはいい思い出のひとこま、いや、ふたこまなのでした。ごめん。
あの住職は、今、思い出の殆どを忘れてしまい、友人の見分けも出来なくなっているらしい。悲しいねえ。

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jane

hirochiki さん
nice!ありがとうございます。
by jane (2013-06-08 21:19) 

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