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天狗党・150年 [観光]

10月中旬。天狗党没後150回忌法要について各紙が報じていた。

鹿島神宮駅から直線距離でぴったり500m、JR鹿島線に沿って潮来方面へ進み、線路の北側(右側)に見える深い森に覆われた丘を田んぼ道の延長線で登っていくと、天狗党23人の墓がある。

幕府の追討軍に追われて鹿島に集まった天狗党の大平組と称する一隊約800人。中の川股茂七郎ら80人あまりが大船津で幕軍と交戦するに至る。後に幕府は鹿島で残党狩りをやって23人を逮捕し、首をはねたのだ。

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150年前の3月に筑波山に挙兵し、翌年の2月に敦賀で352人が処刑されるまで、藩を分裂させて繰り広げられた事変は水戸藩に何をもたらせたのだろう。

黄門様に端を発するという尊皇精神と早急に過ぎた攘夷運動は、対外的な行動のみならず、藩内にも複雑な派閥党争を生み、激しい戦いの末に貴重な逸材はことごとく消されていった。自滅だ。いま少しタイムリー且つ慎重であったなら、新生日本の船頭になり得たであろう大勢の人材を失ってしまうことにはならなかっただろう。

党争のあとに残された者の恨みつらみは、いつまでも尾を引いたことでしょう。気持ちを整理するのには何代もかかったはず。ひょっとしたら今もなお、、、、。

墓に同行した私の息子は、何を感じたのか、「この墓の写真は撮りたくない」と言ってカメラをしまった。

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