歌舞伎鑑賞教室 国立劇場 [観光]
歌舞伎鑑賞教室
二十数年ぶりに歌舞伎を見に行きました。
教室と言うだけあって、初心者向けの解説が
あったりして、確かに勉強にはなりました。
今更、歌舞伎の勉強でもあるまいにと思わなく
もなかったのですが、冥土も近づいてること
だしって訳です。
国立劇場には初めて入りましたが、立派なもの
ですなあ。当たり前ですけど、鹿嶋の文化会館
とはえらい違いですわ。
次回は歌舞伎座にしよう。出来たらですけど~。
二十数年ぶりに歌舞伎を見に行きました。
教室と言うだけあって、初心者向けの解説が
あったりして、確かに勉強にはなりました。
今更、歌舞伎の勉強でもあるまいにと思わなく
もなかったのですが、冥土も近づいてること
だしって訳です。
国立劇場には初めて入りましたが、立派なもの
ですなあ。当たり前ですけど、鹿嶋の文化会館
とはえらい違いですわ。
次回は歌舞伎座にしよう。出来たらですけど~。
タグ:一條大蔵卿長成
東京見物 読売旅行 [観光]
めんそ~れ 沖縄 01日 [観光]
めんそ~れ 沖縄
01日
私たちが泊まったホテルスマイルの隣りに孔子廟があります。
ホテルをチェックアウトする前に、孔子廟に参って行こうと、07時
に出かけました。
日本人らしい初老の人が三脚を使って自撮りをやっていた。
うちの嫁さんの問いかけに、
「何とか商売してやっていけてるのも孔子様のお陰かと思って、
時間が許す限り御礼を言いに来ているんです」という。
3歳くらいの孫らしい女子を連れた老人は、日本語を全く解さない。
沖縄に住んでいる中国人らしい。
孔子廟に隣接した福州園という庭園も見たかったのですが、時間が
時間だけに格子の隙間から覗くだけに終わった。
08時にチェックアウト。トランクを転がして県庁前駅へ。
コインロッカーに荷物を預けて終点の首里に向かう。
牧志を過ぎてしばらくした時、車内放送で懐かしいメロディーが、
サータタタタタタ タタタタタータタタ サーユイユイ
アル中で死んだ兄貴が、中学生の私に教えてくれた安里屋ユンタ
だった。
サー君は野中の茨の花か サーユイユイ
暮れて帰ればやれほに引き止める
マタハーリヌ ツンダラ カヌシャマヨ
次は安里です。お出口は右側です。ホームとの間が広く空いており
ますので、足元に充分ご注意願います。
終点で降りて首里城へぶらぶら歩く。
石垣や石畳に使われている石は野面じゃなくて、亀甲型にきっちり
加工されている。今帰仁城とは全然違う。
城内は修学旅行で糞詰まり状態。高校生の列に紛れてついて行く。
沖縄戦で焼失し、1992年に復元されたとあって、期待したほどの
重厚さはない。
有名な守礼門。これもなあ~。仕方がない。あるがままを見るのだ。
某旅行情報誌にミスリードされて、直ぐ近くにあるはずの県立
博物館へと進む。
ところが、いくら探しても博物館らしきものは見当たらない。
バス停にたたずむご婦人に訊いてみて驚いた。博物館は10年くらい
も前に、おもろ町に引越しましたよ、ですって。
半信半疑のまま最寄りの駅まで歩いて、駅員に確認。ご婦人の情報
どおりで、5駅県庁前駅寄りのおもろ町に向かう。
途中立ち寄った商店で、ハブ酒を買った。やっぱり、、、、なんだ。
おもろ町下車。新市街らしく、ちょっと日本離れした大通りを歩くこと20分。
地味な外観の博物館に着く。駅から徒歩5分と書かれた案内もあるよう
ですが、5分では無理でしょう。
立派な博物館でした。
ローソンの握り飯で時間外れのひるめしをとる。
ちょっと疲れた。歩き過ぎだわ。
嫁さんも疲れたやろ、可哀相に。
16:30のフライトだから、15:30頃には空港に居なくちゃ。
空港でゆっくりするべえ、と県庁前駅で一旦下車、ロッカー
からトランクを拾って、そのまま空港へ向かう。
県庁前から空港まで、モノレールは修学旅行生で超満員だった。
このモノレール、沖縄唯一の電車で大活躍。現在首里が終点だが、
浦添までの延長工事中らしい。貧乏旅行者には大助かりだす。
空港4階でソーキそばをよばれて腹ごしらえ。ヤギ肉だとか聞いた。
予定どおり20:10茨城空港に到着。21:00には我が家に着く
予定だったが、めったに使わない夜道で道筋を一つ見間違い、
結果道に迷って21:30までかかってしまった。ごくろうさん。
以上3泊4日の沖縄旅行。旅行社に勤める長女のプレゼント
でした。ありがとう。
楽しかったねえ。沖縄最高! また行きた~い。
沖縄大好き! だ・か・ら 反日とか独立とか止めてよね。
お・ね・が・い!
01日
私たちが泊まったホテルスマイルの隣りに孔子廟があります。
ホテルをチェックアウトする前に、孔子廟に参って行こうと、07時
に出かけました。
日本人らしい初老の人が三脚を使って自撮りをやっていた。
うちの嫁さんの問いかけに、
「何とか商売してやっていけてるのも孔子様のお陰かと思って、
時間が許す限り御礼を言いに来ているんです」という。
3歳くらいの孫らしい女子を連れた老人は、日本語を全く解さない。
沖縄に住んでいる中国人らしい。
孔子廟に隣接した福州園という庭園も見たかったのですが、時間が
時間だけに格子の隙間から覗くだけに終わった。
08時にチェックアウト。トランクを転がして県庁前駅へ。
コインロッカーに荷物を預けて終点の首里に向かう。
牧志を過ぎてしばらくした時、車内放送で懐かしいメロディーが、
サータタタタタタ タタタタタータタタ サーユイユイ
アル中で死んだ兄貴が、中学生の私に教えてくれた安里屋ユンタ
だった。
サー君は野中の茨の花か サーユイユイ
暮れて帰ればやれほに引き止める
マタハーリヌ ツンダラ カヌシャマヨ
次は安里です。お出口は右側です。ホームとの間が広く空いており
ますので、足元に充分ご注意願います。
終点で降りて首里城へぶらぶら歩く。
石垣や石畳に使われている石は野面じゃなくて、亀甲型にきっちり
加工されている。今帰仁城とは全然違う。
城内は修学旅行で糞詰まり状態。高校生の列に紛れてついて行く。
沖縄戦で焼失し、1992年に復元されたとあって、期待したほどの
重厚さはない。
有名な守礼門。これもなあ~。仕方がない。あるがままを見るのだ。
某旅行情報誌にミスリードされて、直ぐ近くにあるはずの県立
博物館へと進む。
ところが、いくら探しても博物館らしきものは見当たらない。
バス停にたたずむご婦人に訊いてみて驚いた。博物館は10年くらい
も前に、おもろ町に引越しましたよ、ですって。
半信半疑のまま最寄りの駅まで歩いて、駅員に確認。ご婦人の情報
どおりで、5駅県庁前駅寄りのおもろ町に向かう。
途中立ち寄った商店で、ハブ酒を買った。やっぱり、、、、なんだ。
おもろ町下車。新市街らしく、ちょっと日本離れした大通りを歩くこと20分。
地味な外観の博物館に着く。駅から徒歩5分と書かれた案内もあるよう
ですが、5分では無理でしょう。
立派な博物館でした。
ローソンの握り飯で時間外れのひるめしをとる。
ちょっと疲れた。歩き過ぎだわ。
嫁さんも疲れたやろ、可哀相に。
16:30のフライトだから、15:30頃には空港に居なくちゃ。
空港でゆっくりするべえ、と県庁前駅で一旦下車、ロッカー
からトランクを拾って、そのまま空港へ向かう。
県庁前から空港まで、モノレールは修学旅行生で超満員だった。
このモノレール、沖縄唯一の電車で大活躍。現在首里が終点だが、
浦添までの延長工事中らしい。貧乏旅行者には大助かりだす。
空港4階でソーキそばをよばれて腹ごしらえ。ヤギ肉だとか聞いた。
予定どおり20:10茨城空港に到着。21:00には我が家に着く
予定だったが、めったに使わない夜道で道筋を一つ見間違い、
結果道に迷って21:30までかかってしまった。ごくろうさん。
以上3泊4日の沖縄旅行。旅行社に勤める長女のプレゼント
でした。ありがとう。
楽しかったねえ。沖縄最高! また行きた~い。
沖縄大好き! だ・か・ら 反日とか独立とか止めてよね。
お・ね・が・い!
めんそ~れ 沖縄 31日 [観光]
めんそ~れ 沖縄
31日
本日は本土で予約してあった、那覇バスの美ら海水族館・古宇利島
バスツアーです。
バスの発着場所は昨日の沖縄バスから徒歩10分で、ホテル
からでも20分も歩けば着いてしまう、モノレールの旭橋駅前。
08時半に旭橋駅を出発。今度のガイドさんは少々反米的で、
住宅事情が厳しい日本側と、ゆったりした米軍側とを比較したり
しとりました。
「あ、今、私たちの頭上をオスプレイが飛んでいます」なんて
言われても林間を走るバスの中から見えるはずもない。残念。
ジンベイザメ3匹はさすがに見ごたえがありましたねえ。茨城
にも大洗に結構大きな水族館はありますが、ジンベイザメは
居りません。噂によると大阪には居るそうですね。
イルカショーは最高でしたよ。屋内でないのがいいですなあ。
初めて見たマナティーでしたが、住んでいる水の汚れが酷くて
可哀そうなほどでした。あれは排泄物ではないかと思います。
あんなものフィルターでろ過してやれば簡単だと思うがねえ。
昼食は付いていませんでしたが、園内に手ごろなセルフサービス
の食堂があって、賑わっておりました。味も上々。
これで修学旅行の学生と外国人旅行者が遠ざかったらどうなる
んだろうと、ふと、思わされてしまいました。
今帰仁城跡-なきじんと読むらしいですが、野面積みの石垣は
見事です。石に染み付いているであろう汗と涙と血は見えません
がね。
城跡から資料館へ向かっていたとき、ヘリコプターとは少し
異なるプロペラ音がして空を見上げると、飛んできました、
オスプレイが2機。憧れのオスプレイをやっと見られましたよ。
資料館の古い民具は使った覚えのある物ばかりでした。久し
ぶりに懐かしい思いに浸りました。思い出すなあ~、ふるさと
のよ~、島根の山の、貧しいくらしを~。
古宇利島-どう見ても無理矢理観光地化した島。架橋には莫大
なお金がかかったことでしょう。オーシャンタワーからの眺め
は結構すばらしい。
沖縄自動車道を南下し、首里城の脇を通って国際通りまで帰り、
牧志駅近くで途中下車。居心地満点の牧志公認市場の二階へ
再び泡盛を飲みに行った。
古酒「さくら一番」が購入出来る酒屋を尋ねたら、「きらく」の
店長がわざわざ場外の酒問屋まで案内してくれた。優しいんだよ。
暖かい気持ちでホテルへ帰る。
明日は最終日。首里城へ行かなくっちゃ。
31日
本日は本土で予約してあった、那覇バスの美ら海水族館・古宇利島
バスツアーです。
バスの発着場所は昨日の沖縄バスから徒歩10分で、ホテル
からでも20分も歩けば着いてしまう、モノレールの旭橋駅前。
08時半に旭橋駅を出発。今度のガイドさんは少々反米的で、
住宅事情が厳しい日本側と、ゆったりした米軍側とを比較したり
しとりました。
「あ、今、私たちの頭上をオスプレイが飛んでいます」なんて
言われても林間を走るバスの中から見えるはずもない。残念。
ジンベイザメ3匹はさすがに見ごたえがありましたねえ。茨城
にも大洗に結構大きな水族館はありますが、ジンベイザメは
居りません。噂によると大阪には居るそうですね。
イルカショーは最高でしたよ。屋内でないのがいいですなあ。
初めて見たマナティーでしたが、住んでいる水の汚れが酷くて
可哀そうなほどでした。あれは排泄物ではないかと思います。
あんなものフィルターでろ過してやれば簡単だと思うがねえ。
昼食は付いていませんでしたが、園内に手ごろなセルフサービス
の食堂があって、賑わっておりました。味も上々。
これで修学旅行の学生と外国人旅行者が遠ざかったらどうなる
んだろうと、ふと、思わされてしまいました。
今帰仁城跡-なきじんと読むらしいですが、野面積みの石垣は
見事です。石に染み付いているであろう汗と涙と血は見えません
がね。
城跡から資料館へ向かっていたとき、ヘリコプターとは少し
異なるプロペラ音がして空を見上げると、飛んできました、
オスプレイが2機。憧れのオスプレイをやっと見られましたよ。
資料館の古い民具は使った覚えのある物ばかりでした。久し
ぶりに懐かしい思いに浸りました。思い出すなあ~、ふるさと
のよ~、島根の山の、貧しいくらしを~。
古宇利島-どう見ても無理矢理観光地化した島。架橋には莫大
なお金がかかったことでしょう。オーシャンタワーからの眺め
は結構すばらしい。
沖縄自動車道を南下し、首里城の脇を通って国際通りまで帰り、
牧志駅近くで途中下車。居心地満点の牧志公認市場の二階へ
再び泡盛を飲みに行った。
古酒「さくら一番」が購入出来る酒屋を尋ねたら、「きらく」の
店長がわざわざ場外の酒問屋まで案内してくれた。優しいんだよ。
暖かい気持ちでホテルへ帰る。
明日は最終日。首里城へ行かなくっちゃ。
皇居乾通り一般公開・読売旅行 [観光]
皇居乾通りの一般公開初日に参加しました。
読売旅行関係は観光バス10台の大所帯だったそうですが、私たちのバスは44人の満席状態。
天気は快晴。添乗員の中原さんはユーモアたっぷりのお姉さん。面白い人でしたよ。良かったね。
07時に鹿島を出て10時に丸の内到着。1時間余り並んでセキュリティーチェックを受け、坂下門をくぐる。
天皇陛下の人気振りを象徴するような人出に、うんざりしながらも素直に納得。素晴らしい光景でした。
昨日までの3日間で18万人だったそうですな。天皇様の気配りに深謝。
13時に武道館前に集合。神宮外苑のイチョウ並木を通って新宿御苑へ。イチョウは半分散っていましたが雰囲気充分。
15時~16時、六義園見学。18時40分鹿島に無事到着でした。いずれも日本の宝だね。選挙に行きましょうね。
これ、何の列だと思います? よく見ると女性ばかり。そうです。トイレです。あっちでもこっちでもこうでした。
男性用は行列なし。こんなことでいいんでしょうかねえ。
読売旅行関係は観光バス10台の大所帯だったそうですが、私たちのバスは44人の満席状態。
天気は快晴。添乗員の中原さんはユーモアたっぷりのお姉さん。面白い人でしたよ。良かったね。
07時に鹿島を出て10時に丸の内到着。1時間余り並んでセキュリティーチェックを受け、坂下門をくぐる。
天皇陛下の人気振りを象徴するような人出に、うんざりしながらも素直に納得。素晴らしい光景でした。
昨日までの3日間で18万人だったそうですな。天皇様の気配りに深謝。
13時に武道館前に集合。神宮外苑のイチョウ並木を通って新宿御苑へ。イチョウは半分散っていましたが雰囲気充分。
15時~16時、六義園見学。18時40分鹿島に無事到着でした。いずれも日本の宝だね。選挙に行きましょうね。
これ、何の列だと思います? よく見ると女性ばかり。そうです。トイレです。あっちでもこっちでもこうでした。
男性用は行列なし。こんなことでいいんでしょうかねえ。
鹿嶋市菊花展 鹿島神宮境内 [観光]
鹿嶋市の菊花展が鹿島神宮境内で開かれています。11月20日までだそうです。
やはり、最優秀賞は、どう見ても自分の花。毎朝ねぼけ眼にまず入れるのはこの花です。綺麗だな~お前たちは、と声をかけてやります。残念ながら、花を相手くらいにしかそんな台詞を使う機会がない、というのが本当なんですけど。
いかがです?
うちの奥さん曰く「わたし、はなよりだんご、だからね」
やはり、最優秀賞は、どう見ても自分の花。毎朝ねぼけ眼にまず入れるのはこの花です。綺麗だな~お前たちは、と声をかけてやります。残念ながら、花を相手くらいにしかそんな台詞を使う機会がない、というのが本当なんですけど。
いかがです?
うちの奥さん曰く「わたし、はなよりだんご、だからね」
タグ:最優秀賞
天狗党・150年 [観光]
10月中旬。天狗党没後150回忌法要について各紙が報じていた。
鹿島神宮駅から直線距離でぴったり500m、JR鹿島線に沿って潮来方面へ進み、線路の北側(右側)に見える深い森に覆われた丘を田んぼ道の延長線で登っていくと、天狗党23人の墓がある。
幕府の追討軍に追われて鹿島に集まった天狗党の大平組と称する一隊約800人。中の川股茂七郎ら80人あまりが大船津で幕軍と交戦するに至る。後に幕府は鹿島で残党狩りをやって23人を逮捕し、首をはねたのだ。
150年前の3月に筑波山に挙兵し、翌年の2月に敦賀で352人が処刑されるまで、藩を分裂させて繰り広げられた事変は水戸藩に何をもたらせたのだろう。
黄門様に端を発するという尊皇精神と早急に過ぎた攘夷運動は、対外的な行動のみならず、藩内にも複雑な派閥党争を生み、激しい戦いの末に貴重な逸材はことごとく消されていった。自滅だ。いま少しタイムリー且つ慎重であったなら、新生日本の船頭になり得たであろう大勢の人材を失ってしまうことにはならなかっただろう。
党争のあとに残された者の恨みつらみは、いつまでも尾を引いたことでしょう。気持ちを整理するのには何代もかかったはず。ひょっとしたら今もなお、、、、。
墓に同行した私の息子は、何を感じたのか、「この墓の写真は撮りたくない」と言ってカメラをしまった。
鹿島神宮駅から直線距離でぴったり500m、JR鹿島線に沿って潮来方面へ進み、線路の北側(右側)に見える深い森に覆われた丘を田んぼ道の延長線で登っていくと、天狗党23人の墓がある。
幕府の追討軍に追われて鹿島に集まった天狗党の大平組と称する一隊約800人。中の川股茂七郎ら80人あまりが大船津で幕軍と交戦するに至る。後に幕府は鹿島で残党狩りをやって23人を逮捕し、首をはねたのだ。
150年前の3月に筑波山に挙兵し、翌年の2月に敦賀で352人が処刑されるまで、藩を分裂させて繰り広げられた事変は水戸藩に何をもたらせたのだろう。
黄門様に端を発するという尊皇精神と早急に過ぎた攘夷運動は、対外的な行動のみならず、藩内にも複雑な派閥党争を生み、激しい戦いの末に貴重な逸材はことごとく消されていった。自滅だ。いま少しタイムリー且つ慎重であったなら、新生日本の船頭になり得たであろう大勢の人材を失ってしまうことにはならなかっただろう。
党争のあとに残された者の恨みつらみは、いつまでも尾を引いたことでしょう。気持ちを整理するのには何代もかかったはず。ひょっとしたら今もなお、、、、。
墓に同行した私の息子は、何を感じたのか、「この墓の写真は撮りたくない」と言ってカメラをしまった。
彼岸・中日 鹿島神宮大鳥居 [観光]
晴天無風。穏やかなお天気で、私も鹿島神宮へお参りにいってきました。
皆さん墓参りへ行かれたようで、午前10時の神宮は予想したよりはずっと静かでした。
何時行ってもいい感じですなあ、大鳥居の再建成った鹿島神宮の参道は。
この大鳥居、ご存知のとおり、震災で崩れて3年あまり、本年の5月に完成しました。
6月の1日には、竣工祭が盛大に行われました。
ちょうど同日、うちの奥さんが入院しましたので、彼女を病院に預けた後大急ぎで引きかえし、竣工祭を見物にいきました。
大鳥居がなくて、寂しい門前
新しい大鳥居は木造で、その木材は鹿島神宮の杜から切り出されたものです。
たまたまその大木の伐採現場に出くわして、確かに撮影したのですが、いくら探しても見つからず残念です。
正面に目立つ変色した部分は少し気になりますが、本宮側から見ると染み一つ無い見事な木肌で、それはそれで良いのかもしれません。素晴らしい出来ですよ。
神宮の博物館裏にあったごみ焼却場跡を整備して、建立が進んでいた新社殿がほぼ完成して全貌を現しています。
こう見えても、鉄骨2階建てで、一階部分は地下です。莫大な費用がかかったのでしょうが、さすが宗教法人。
何となく、伊勢神宮のそれと似てる(?)
新社殿の用地造成時に切られた古木の根っこです。
新社殿の奥に位置する祖霊社では、神社にゆかりの深い人たちの家族の物故者の慰霊の式典が行なわれておりました。仏式でいう墓参りなのでしょうかねえ。(のが5個も続くと異様ですね)
この祖霊社は、昔、東京の某学校の中にあった社を何かの都合で鹿島神宮の境内に移したものだそうです。
帰りに城山公園の彼岸花を見に行きました。
昨年に比べると、何故か寂しそうでしたなあ。
ついでに、遊具の近くにあるトイレに寄りました。
遊具の周りには、子供連れの若いママ連がたむろしていたと思し召せ。
私がトイレに入ると同時に、外からは見えない作りになっている洗面台のところから、小さい男の子が飛び出してきました。驚いた私は思わずはっきり声に出して、「お~、びっくりしたで!」と言いました。
私がトイレに入るのをしっかりと見ていたらしい男子の母親が、私の声に異変を感じたらしく、何か言いました。
男子は、「おっちゃん、びっくりしたんだって」と説明しておりました。
私が用をすませて外へ出たときには、男子は遊具の方へ走りだしており、安心した母親はその豊満な後姿を私に見せながら歩き始めておりました。
私は変質者かもしれないと思われたのでしょうねえ。いやな世の中になったもんです。
正直言って、私に興味があるのは、あんな男子などではなくて、熟した母親の方なんですけど。
びっくりしたって、はっきり言っておいて良かったよ。
皆さん墓参りへ行かれたようで、午前10時の神宮は予想したよりはずっと静かでした。
何時行ってもいい感じですなあ、大鳥居の再建成った鹿島神宮の参道は。
この大鳥居、ご存知のとおり、震災で崩れて3年あまり、本年の5月に完成しました。
6月の1日には、竣工祭が盛大に行われました。
ちょうど同日、うちの奥さんが入院しましたので、彼女を病院に預けた後大急ぎで引きかえし、竣工祭を見物にいきました。
大鳥居がなくて、寂しい門前
新しい大鳥居は木造で、その木材は鹿島神宮の杜から切り出されたものです。
たまたまその大木の伐採現場に出くわして、確かに撮影したのですが、いくら探しても見つからず残念です。
正面に目立つ変色した部分は少し気になりますが、本宮側から見ると染み一つ無い見事な木肌で、それはそれで良いのかもしれません。素晴らしい出来ですよ。
神宮の博物館裏にあったごみ焼却場跡を整備して、建立が進んでいた新社殿がほぼ完成して全貌を現しています。
こう見えても、鉄骨2階建てで、一階部分は地下です。莫大な費用がかかったのでしょうが、さすが宗教法人。
何となく、伊勢神宮のそれと似てる(?)
新社殿の用地造成時に切られた古木の根っこです。
新社殿の奥に位置する祖霊社では、神社にゆかりの深い人たちの家族の物故者の慰霊の式典が行なわれておりました。仏式でいう墓参りなのでしょうかねえ。(のが5個も続くと異様ですね)
この祖霊社は、昔、東京の某学校の中にあった社を何かの都合で鹿島神宮の境内に移したものだそうです。
帰りに城山公園の彼岸花を見に行きました。
昨年に比べると、何故か寂しそうでしたなあ。
ついでに、遊具の近くにあるトイレに寄りました。
遊具の周りには、子供連れの若いママ連がたむろしていたと思し召せ。
私がトイレに入ると同時に、外からは見えない作りになっている洗面台のところから、小さい男の子が飛び出してきました。驚いた私は思わずはっきり声に出して、「お~、びっくりしたで!」と言いました。
私がトイレに入るのをしっかりと見ていたらしい男子の母親が、私の声に異変を感じたらしく、何か言いました。
男子は、「おっちゃん、びっくりしたんだって」と説明しておりました。
私が用をすませて外へ出たときには、男子は遊具の方へ走りだしており、安心した母親はその豊満な後姿を私に見せながら歩き始めておりました。
私は変質者かもしれないと思われたのでしょうねえ。いやな世の中になったもんです。
正直言って、私に興味があるのは、あんな男子などではなくて、熟した母親の方なんですけど。
びっくりしたって、はっきり言っておいて良かったよ。
鹿島神宮・御船祭り(みふねまつり) [観光]
お久しぶりです。
4月の07日以来5ヶ月間のご無沙汰でございました。ごめんなさい。
言い訳はまたの機会にさせていただくことにして、鹿島の御船祭を契機に再出発したいと思いますので、よろしくお願いいたします。
12年に一度、午年の9月初旬に行われるこの祭は、鹿島神宮最大のお祭りで、その起源は約二千年の昔であると言われています。
震災で無くなっていた大鳥居は5月末までに再建され、立派な神社の顔になっています。
初日に行われた提灯まちです。
メーンイヴェントは、鹿島神宮の祭神と香取神宮の祭神が北浦の湖上で会談を持たれるという設定で、鹿島神宮から大神様を分霊したお神輿を北浦湖畔の大船津まで大行列で送り、水上での会談終了後には、再び同様の行列で鹿島神宮へ帰っていただくという3日がかりの大行事です。
北浦湖上に向かうお神輿
鹿島の祭神と香取の祭神が合流される北浦湖に立つ、鹿島神宮一之鳥居
お神輿の本宮へのご帰還、直後ににわか雨が
盛大なお祭りでしたよ、ごくろうさま
4月の07日以来5ヶ月間のご無沙汰でございました。ごめんなさい。
言い訳はまたの機会にさせていただくことにして、鹿島の御船祭を契機に再出発したいと思いますので、よろしくお願いいたします。
12年に一度、午年の9月初旬に行われるこの祭は、鹿島神宮最大のお祭りで、その起源は約二千年の昔であると言われています。
震災で無くなっていた大鳥居は5月末までに再建され、立派な神社の顔になっています。
初日に行われた提灯まちです。
メーンイヴェントは、鹿島神宮の祭神と香取神宮の祭神が北浦の湖上で会談を持たれるという設定で、鹿島神宮から大神様を分霊したお神輿を北浦湖畔の大船津まで大行列で送り、水上での会談終了後には、再び同様の行列で鹿島神宮へ帰っていただくという3日がかりの大行事です。
北浦湖上に向かうお神輿
鹿島の祭神と香取の祭神が合流される北浦湖に立つ、鹿島神宮一之鳥居
お神輿の本宮へのご帰還、直後ににわか雨が
盛大なお祭りでしたよ、ごくろうさま
タグ:鹿島神宮御船祭