めんそ~れ 沖縄 30日 [旅行]
めんそ~れ 沖縄
30日
予約どおり迎えの車は7時45分にやってきた。
途中何処を走っても道路にゴミが落ちてない。本当に全く
無いのだ。裏の路地だってきれいに掃除されている。
恥を晒すようだが、鹿島神宮を看板に頂く我が鹿嶋では、
ちょっと裏通りに入るとゴミだらけですよ。ゴミで膨らんだ
レジ袋が投げ捨てられていたりする。
「運転手さん。沖縄の人って皆さん、沖縄が中国になって
しまえばいいと思っているんでしょうかねえ」
うちの嫁さんは時々こういうことを平気で口にする。
「いやー。そういう人もいるでしょうけど、少ないと思い
ますよ」 運転手も苦しい対応。
そうだよなあ。沖縄独立論者も居ると聞いたけど、とんでも
ない奴らだよ、全く。
沖縄バスの“おきなわワールドと戦跡めぐり”というコース
で、8時30分に出発しましたが、お客は6人だけで、ガイド
さんもやりにくそうでしたねえ。
おきなわワールドの見どころは玉泉洞という鍾乳洞です。
全長は5kmあるそうですが、そのうち約900mが歩いて
見られるようになっている。
通路はそこを流れる地下の川に沿っていて、洞の出口へは
エスカレーターで上がるようになっている。地上がテーマ
パークってわけです。ここも修学旅行の学生でごった返し
ておりました。
一画に酒造工場があって、大量のハブを漬け込んだガラス
張りのドラムが見えるように置かれてありました。あれが
ハブ酒なんでしょうなあ。
エイサーとかいう太鼓踊りもたっぷり。ハブ公園やハブショー
は残念ながらバスの時間の都合で見送りました。
平和祈念公園は米軍に追い詰められた島民が悲惨な結末を
迎えた沖縄最後の地上戦跡だそうで、多くの婦女子が身を
投げたという絶壁も今となっては血の臭いさえない。むかし
聞いたことがある“ばんざいクリフ”とは此処のことだったかな。
全国各都道府県が競って造ったように見える慰霊苑は、誰が
仕掛けたのだろうか。あれで犠牲者の魂が安らぐとはとても
思えない。
ひめゆりの塔という映画を若い頃に見たような憶えがある
のだが、私の記憶もあてにはならん。若い男は戦地に散り、
銃後を背負わされた若い女たちは地獄を見せられた。
戦争とはそんなものなんだ。戦争で酷い目に合ったのは沖縄
の民だけやない。
ひめゆりの塔の真向かいにある食堂で昼食。結構よく出来た
食事で、昼食としては大満足でした。レストランも売店も
まるでラッシュアワーの駅なみ。
15時半過ぎにツアーを終了。バス会社最寄りのモノレール
旭橋駅から二つ目の美栄橋まで移動。国際通りのちょうど
真ん中辺りまで歩く。5分も行けばドンキホーテに突き当たる。
目当ては牧志公設市場のフードコートです。掛け値なしの
美味い泡盛が飲みたかったのです。『きらく』という店で、
その隣りの店がなぜか道頓堀だって。
オリオンビールで乾杯の後、泡盛古酒だという“さくら一番”を
豚の耳(ミミガー)、本場のゴーヤちゃんぷるー、ピーナッツ豆腐、
海ぶどう、五目粥、等でやっつけた。最高!
何処へ行っても感じるのは沖縄人の優しさだ。特に言葉遣いが柔ら
かで、不快感がない。これは何処から来ているのだろう。美人の
多さも圧倒的だ。
人口が減少している本土とは反対に、沖縄では増加傾向なんだ
ってね。判るような気がする。
ま、移住して来て、特殊な葉っぱを栽培する人もいるそうですけど。
南の国に住み着いて、葉っぱのけむに酔い痴れる。いいかもねえ~。
帰路、国際通りにある新垣ちんすこう本舗で、沖縄名物ちんすこう
を購入。宅配で本土へ送った。
新垣さんて音楽家が居ますよねえ。彼もこちらの人なんでしょうか、
なんて嫁さんと話しながらホテルへ歩いた。何年ぶりかなあ、
こうして夜道を二人で歩くなんて。
30日
予約どおり迎えの車は7時45分にやってきた。
途中何処を走っても道路にゴミが落ちてない。本当に全く
無いのだ。裏の路地だってきれいに掃除されている。
恥を晒すようだが、鹿島神宮を看板に頂く我が鹿嶋では、
ちょっと裏通りに入るとゴミだらけですよ。ゴミで膨らんだ
レジ袋が投げ捨てられていたりする。
「運転手さん。沖縄の人って皆さん、沖縄が中国になって
しまえばいいと思っているんでしょうかねえ」
うちの嫁さんは時々こういうことを平気で口にする。
「いやー。そういう人もいるでしょうけど、少ないと思い
ますよ」 運転手も苦しい対応。
そうだよなあ。沖縄独立論者も居ると聞いたけど、とんでも
ない奴らだよ、全く。
沖縄バスの“おきなわワールドと戦跡めぐり”というコース
で、8時30分に出発しましたが、お客は6人だけで、ガイド
さんもやりにくそうでしたねえ。
おきなわワールドの見どころは玉泉洞という鍾乳洞です。
全長は5kmあるそうですが、そのうち約900mが歩いて
見られるようになっている。
通路はそこを流れる地下の川に沿っていて、洞の出口へは
エスカレーターで上がるようになっている。地上がテーマ
パークってわけです。ここも修学旅行の学生でごった返し
ておりました。
一画に酒造工場があって、大量のハブを漬け込んだガラス
張りのドラムが見えるように置かれてありました。あれが
ハブ酒なんでしょうなあ。
エイサーとかいう太鼓踊りもたっぷり。ハブ公園やハブショー
は残念ながらバスの時間の都合で見送りました。
平和祈念公園は米軍に追い詰められた島民が悲惨な結末を
迎えた沖縄最後の地上戦跡だそうで、多くの婦女子が身を
投げたという絶壁も今となっては血の臭いさえない。むかし
聞いたことがある“ばんざいクリフ”とは此処のことだったかな。
全国各都道府県が競って造ったように見える慰霊苑は、誰が
仕掛けたのだろうか。あれで犠牲者の魂が安らぐとはとても
思えない。
ひめゆりの塔という映画を若い頃に見たような憶えがある
のだが、私の記憶もあてにはならん。若い男は戦地に散り、
銃後を背負わされた若い女たちは地獄を見せられた。
戦争とはそんなものなんだ。戦争で酷い目に合ったのは沖縄
の民だけやない。
ひめゆりの塔の真向かいにある食堂で昼食。結構よく出来た
食事で、昼食としては大満足でした。レストランも売店も
まるでラッシュアワーの駅なみ。
15時半過ぎにツアーを終了。バス会社最寄りのモノレール
旭橋駅から二つ目の美栄橋まで移動。国際通りのちょうど
真ん中辺りまで歩く。5分も行けばドンキホーテに突き当たる。
目当ては牧志公設市場のフードコートです。掛け値なしの
美味い泡盛が飲みたかったのです。『きらく』という店で、
その隣りの店がなぜか道頓堀だって。
オリオンビールで乾杯の後、泡盛古酒だという“さくら一番”を
豚の耳(ミミガー)、本場のゴーヤちゃんぷるー、ピーナッツ豆腐、
海ぶどう、五目粥、等でやっつけた。最高!
何処へ行っても感じるのは沖縄人の優しさだ。特に言葉遣いが柔ら
かで、不快感がない。これは何処から来ているのだろう。美人の
多さも圧倒的だ。
人口が減少している本土とは反対に、沖縄では増加傾向なんだ
ってね。判るような気がする。
ま、移住して来て、特殊な葉っぱを栽培する人もいるそうですけど。
南の国に住み着いて、葉っぱのけむに酔い痴れる。いいかもねえ~。
帰路、国際通りにある新垣ちんすこう本舗で、沖縄名物ちんすこう
を購入。宅配で本土へ送った。
新垣さんて音楽家が居ますよねえ。彼もこちらの人なんでしょうか、
なんて嫁さんと話しながらホテルへ歩いた。何年ぶりかなあ、
こうして夜道を二人で歩くなんて。
姫路城 [旅行]
20数年ぶりに姫路城へ行ってきました。
姫路駅の周辺はすっかり変わってしまい、昔の面影が残るのはお城だけでしたね。
こうなると懐かしさなど微塵もありません。
まあ外人さんの多いこと。聞こえてくるのは意味不明な雑音ばかり。
白いお城も灰色の空では、あまり映えませんです。好みによってでしょうけど。
姫路駅
お久しぶりでした。
年のせいか気まぐれですみません。
そんなことまで年のせいにするのね。
皆さん、クリスマス如何でした?
何の感激もなかったですな、この年では。
姫路駅の周辺はすっかり変わってしまい、昔の面影が残るのはお城だけでしたね。
こうなると懐かしさなど微塵もありません。
まあ外人さんの多いこと。聞こえてくるのは意味不明な雑音ばかり。
白いお城も灰色の空では、あまり映えませんです。好みによってでしょうけど。
姫路駅
お久しぶりでした。
年のせいか気まぐれですみません。
そんなことまで年のせいにするのね。
皆さん、クリスマス如何でした?
何の感激もなかったですな、この年では。
タグ:白鷺城
谷川温泉・同窓会 [旅行]
2年おきにやっている同窓会で、谷川温泉へ行ってきました。
私たちの同窓生は80人を超えるのですが、今回集まったのは女性ゼロで男ばかりの9名。
高速バスで2時間、新幹線1時間15分、ローカルバス25分の旅です。
長いトンネルでした。鉄道用としては、世界一ですってね。
宿は、太宰治が病気療養のため1ヶ月近く滞在したといわれる『旅館たにがわ』で、水上駅から旅館の送迎バスで15分ほどのところです。
部屋の真正面には、山あいに頭を覗かせている谷川岳が見えていました。それがこの部屋の売りみたい。
輝くばかりの美しき姫が独り清流に身を清め居給うたところから湧き出たとされる温泉。
癖のない透明な湯でした。私好みで大満足。
参加者の年齢を考慮したのか、料理は控えめ(予算の関係かもね)。
驚いたのは、酒を飲めなくなった友が多くなったことで、盛り上がりにも翳りが見えましたね。
翌日。朝食の後9時に旅館を出て、谷川岳の天神平へ。
足腰が弱った友も数人いて、歩調を合わせるのは困難でしたが、、、、。
明日は我が身。
谷川岳の雄姿
新幹線の上毛高原駅でひとまず解散。17時10分には帰宅しておりました。
以前どこかで、同窓会なんか止めとこうかと書いたことがあります。
でも、今回は少し変わって、次回も参加できるように、少なくとも現状の維持に努めなけねばと思っております。
女がいなかったのも悪くなかったですな、気楽で。
私たちの同窓生は80人を超えるのですが、今回集まったのは女性ゼロで男ばかりの9名。
高速バスで2時間、新幹線1時間15分、ローカルバス25分の旅です。
長いトンネルでした。鉄道用としては、世界一ですってね。
宿は、太宰治が病気療養のため1ヶ月近く滞在したといわれる『旅館たにがわ』で、水上駅から旅館の送迎バスで15分ほどのところです。
部屋の真正面には、山あいに頭を覗かせている谷川岳が見えていました。それがこの部屋の売りみたい。
輝くばかりの美しき姫が独り清流に身を清め居給うたところから湧き出たとされる温泉。
癖のない透明な湯でした。私好みで大満足。
参加者の年齢を考慮したのか、料理は控えめ(予算の関係かもね)。
驚いたのは、酒を飲めなくなった友が多くなったことで、盛り上がりにも翳りが見えましたね。
翌日。朝食の後9時に旅館を出て、谷川岳の天神平へ。
足腰が弱った友も数人いて、歩調を合わせるのは困難でしたが、、、、。
明日は我が身。
谷川岳の雄姿
新幹線の上毛高原駅でひとまず解散。17時10分には帰宅しておりました。
以前どこかで、同窓会なんか止めとこうかと書いたことがあります。
でも、今回は少し変わって、次回も参加できるように、少なくとも現状の維持に努めなけねばと思っております。
女がいなかったのも悪くなかったですな、気楽で。
台北 [旅行]
うちの奥さんが膝の手術を受ける直前、手術の結果を危ぶんだ彼女は、以前から気にしていた台湾へ行っておきたいと言う。ひょっとしたら大きな旅行など出来なくなるかもしれないという訳です。私も故宮博物館は是非一度見なくてはと思っていましたし、世界で一番の親日国がどんなところかと興味を持ってもおりました。
と、ま、こんな訳で、彼女には痛み対策を充分にして頂いて出かけました。
他人が立てたプランに振り回される旅行があまり好きでない(協調性に欠ける)私の旅は、いつもぶっつけです。
格安便の機体はかなりくたびれていましたが、とりあえず無事到着。
車中から見える建物は軒並み壁の汚れが酷い。エレヴェーターの機械室だろうと思しき屋上の突起も異様。
17時にホテルに入って、その日はゆったり。明日に備えて奥さんの足休め。
ブフェの朝食をたっぷり食い、ホテルの前でタクシーを拾って故宮博物館へ。案外安かったね。
博物館の中はチャイニーズの団体客で超満員の大騒ぎ。白菜や豚肉の周辺は黒山だ。昔は日本人もこうだったよ、と言われていそうで、せっかくの博物にも気が乗らない。仕方ないのでとりあえずひと通り見て回る。
地下にある多宝館とかいうみやげ物屋で小物を漁る。安物を買う訳だからいい物はない。良さそうなものは結構高いのだ。金持ちチャイニーズの懐を基準にしてるのかね。
白タクで街へ戻り、奥さん念願のフカヒレ屋で昼食。美味かったね。
さすが台湾。軍関係の施設には凄いお金がかかっている。日本もその気でやんなくちゃ。
国立歴史博物館へ行ってみたが、空調設備の工事中とかで休館。故宮の後、こちらに期待していたのに大変残念。
歴史博物館前の国道のどん詰まりにあるマーケットへ向かって歩く。見えていたのに結構遠かった。
奥さんお勧めのからすみを買った。トイレはきれいでしたよ。
実は私、からすみなんて美味いものを食ったことがなかったんです。でも食い過ぎてはならない物みたい。
足の悪い奥さんを長く歩かせてしまった。うちででも杖が必要な程なのにそれも叶わず、私の腕にすがりついて歩く、私はすっかり杖代わり。若い頃に戻ったような気がした。悪くない。でも、こういうことはもう二度とないかもね。
翌日。ホテルの近くに地下鉄の駅があると分かって歩き、地下鉄から国鉄に乗り換えて基隆へ行く。
仙洞と呼ばれる洞窟にある仏像を拝みたかったからです。
基隆駅から仙洞へはタクシーを使う。便利なバスがあり、それで港まで行けばいいと聞いたけど、奥さんの負担を少しでも軽減しようと思って、、、、。
この港というのが、敗戦で台湾から追い出された日本人の引き揚げ船が出た港だそうです。どんな気持ちで乗船したのでしょうか。想像を絶するドラマがあったことでしょう。そうしたドラマが、日本人の偉大さを支えているのだと思います。
出港を待つ間の日本人に、この仙洞の仏さまを拝む余裕はあったのでしょうか。絶対に、あった、と思いたい。
仙洞の入口脇から急な階段を登って(奥さんごめん)丘の上に建つお寺にも参った。境内からはその港が見える。
階段でうちらを迎えてくれたとかげさんと仏像
奥さんに詫びつつ階段を下りて、一人で仙洞の裏手へ回ってみる。照明を点け、路もきれいに整備された小規模な洞窟がある。この洞窟には深い悲しみが隠れているような気がする。
あの丘の上のお寺は、この洞窟の真上に建てられている。
この社の裏に洞窟の入口がある。
タクシーで帰路につく。
基隆駅のヤマザキパンは美味しかったよ~。よく流行っているみたい。
台北に帰って、好天宮 の近くでショウロンポウ、ギョウザ、ラーメンで昼飯。
フカヒレとショウロンポウが達成出来て、この旅行は大成功だと奥さんは笑った。
その足で、日本人に毒されきった翡翠屋により、奥さんはブレスレット、私はパッと見て目に飛び込んだ蛙に似た動物の彫り物を買った。店主はその背中にある黄色い部分が値打ちなんだと主張する。何でも、黄色の玉は貴重で縁起もいいのです、だって。私には茶色にしか見えないんですけど~。
この日も、足を引きずる奥さんを引き回してしまった。勘弁してね。
最終日。04:30起床。05:30ホテル発。08:40台北発。12:00成田着で台北旅行は無事終わる筈でした。
帰りの飛行機は所謂新車で(これは新機とでも言うべきか)、気分も爽快。朝食で朝からビールを頂きました。この先無料のビールなど飲める日がいつくるのか分からないからです。飲兵衛は意地汚いのです。奥さんもビールを頼んで口もつけず私にくれました。これは毎度のことで、私の乞食根性はすっかり読まれているのです。
ビールを2本飲んで、アル中の禁断症状も緩和されたところで、くつろいで音楽など楽しんでおりました。何という幸せな時間なのでしょう。
何か食い合わせでも悪かったのか、口の中が気持ち悪くなって、水を一杯もらいました。うちでは水など勿論セルフサーヴィスですよ。それがここではきれいなねえゃんが、はいどうぞって持ってきてくれる。悪くないねえ。
間もなく機体は成田に向かって下降を始めました。
耳がツーンときたころ、私の膀胱にもツーンときました。そうでなくても頻尿気味なのに、水分の取り過ぎです。
シートベルトはもちもんfastenです。ま、着陸までくらい我慢出来るやろ。この時、恥を忍んででも放出しておけばよかったのです。
ドスンときて、ジェットエンジンが逆噴射を始めたころ、着陸したという安堵と地面から伝わる振動と膀胱の内圧とで、私の前立腺はパニック状態になっておりました。飛行機はゴトゴトゴトゴトと誘導路を走り続け、なかなか止まりません。何だ、このとろさは、格安だから駐機場も遠いのか。と、あらぬところに八つ当たり。ああ、本当に洩れてしまいそう。
やっと停車して、エンジンも止まった。席を立って少し気が紛れたのか楽になる。
ドアが開いてビジネスクラスが動き始め、流れが自分のところに及ぶまでの時間の長さ。さっさと行かんかい。おれは、尿道まで満杯になってるんだぞ。ぞろぞろと並んで歩くもどかしさ。でも、狭いところで列を乱すことは出来ない。
やっと広い通路に出る。はるかかなたにトイレの標示が見えている。
「おれ、洩れそうなんや。急ぐで」
奥さんも左足を引きずりながら、追ってくる。
ジッパーを下ろしながら朝顔に駆け寄って、チン子を引き出した途端、怒涛の激流でありました。
やっと人心付いて外へ出ると、奥さんは何故かおかんむり。
「あんた。私は足が痛いて分かってて、何よあの急ぎようは。旅行も終盤に来て、何か私に嫌がらせでもしなければならんことがあったって言うの」
洩れそうなんや、急ぐで。と言った私のつぶやきは彼女に届いていなかった。
どうでもいいけど、私はこれから自宅まで運転して帰らないと旅は終わらない。気を引き締めて行かないと。
事故もなく、お漏らしもせず、台北旅行は終わった。でも、お漏らしは寸前だったのです。危機一髪。
白菜や豚肉は日本に来ているそうですが、今何処にあるのでしょうか。あのちっぽけな彫り物の何処に価値があるのか分かっていない私には、何かが欠けているのでしょうね。故宮? 二度と行きません。
白菜の裏と表
実は、この旅行、長女からのプレゼントでした。ありがとね。
と、ま、こんな訳で、彼女には痛み対策を充分にして頂いて出かけました。
他人が立てたプランに振り回される旅行があまり好きでない(協調性に欠ける)私の旅は、いつもぶっつけです。
格安便の機体はかなりくたびれていましたが、とりあえず無事到着。
車中から見える建物は軒並み壁の汚れが酷い。エレヴェーターの機械室だろうと思しき屋上の突起も異様。
17時にホテルに入って、その日はゆったり。明日に備えて奥さんの足休め。
ブフェの朝食をたっぷり食い、ホテルの前でタクシーを拾って故宮博物館へ。案外安かったね。
博物館の中はチャイニーズの団体客で超満員の大騒ぎ。白菜や豚肉の周辺は黒山だ。昔は日本人もこうだったよ、と言われていそうで、せっかくの博物にも気が乗らない。仕方ないのでとりあえずひと通り見て回る。
地下にある多宝館とかいうみやげ物屋で小物を漁る。安物を買う訳だからいい物はない。良さそうなものは結構高いのだ。金持ちチャイニーズの懐を基準にしてるのかね。
白タクで街へ戻り、奥さん念願のフカヒレ屋で昼食。美味かったね。
さすが台湾。軍関係の施設には凄いお金がかかっている。日本もその気でやんなくちゃ。
国立歴史博物館へ行ってみたが、空調設備の工事中とかで休館。故宮の後、こちらに期待していたのに大変残念。
歴史博物館前の国道のどん詰まりにあるマーケットへ向かって歩く。見えていたのに結構遠かった。
奥さんお勧めのからすみを買った。トイレはきれいでしたよ。
実は私、からすみなんて美味いものを食ったことがなかったんです。でも食い過ぎてはならない物みたい。
足の悪い奥さんを長く歩かせてしまった。うちででも杖が必要な程なのにそれも叶わず、私の腕にすがりついて歩く、私はすっかり杖代わり。若い頃に戻ったような気がした。悪くない。でも、こういうことはもう二度とないかもね。
翌日。ホテルの近くに地下鉄の駅があると分かって歩き、地下鉄から国鉄に乗り換えて基隆へ行く。
仙洞と呼ばれる洞窟にある仏像を拝みたかったからです。
基隆駅から仙洞へはタクシーを使う。便利なバスがあり、それで港まで行けばいいと聞いたけど、奥さんの負担を少しでも軽減しようと思って、、、、。
この港というのが、敗戦で台湾から追い出された日本人の引き揚げ船が出た港だそうです。どんな気持ちで乗船したのでしょうか。想像を絶するドラマがあったことでしょう。そうしたドラマが、日本人の偉大さを支えているのだと思います。
出港を待つ間の日本人に、この仙洞の仏さまを拝む余裕はあったのでしょうか。絶対に、あった、と思いたい。
仙洞の入口脇から急な階段を登って(奥さんごめん)丘の上に建つお寺にも参った。境内からはその港が見える。
階段でうちらを迎えてくれたとかげさんと仏像
奥さんに詫びつつ階段を下りて、一人で仙洞の裏手へ回ってみる。照明を点け、路もきれいに整備された小規模な洞窟がある。この洞窟には深い悲しみが隠れているような気がする。
あの丘の上のお寺は、この洞窟の真上に建てられている。
この社の裏に洞窟の入口がある。
タクシーで帰路につく。
基隆駅のヤマザキパンは美味しかったよ~。よく流行っているみたい。
台北に帰って、好天宮 の近くでショウロンポウ、ギョウザ、ラーメンで昼飯。
フカヒレとショウロンポウが達成出来て、この旅行は大成功だと奥さんは笑った。
その足で、日本人に毒されきった翡翠屋により、奥さんはブレスレット、私はパッと見て目に飛び込んだ蛙に似た動物の彫り物を買った。店主はその背中にある黄色い部分が値打ちなんだと主張する。何でも、黄色の玉は貴重で縁起もいいのです、だって。私には茶色にしか見えないんですけど~。
この日も、足を引きずる奥さんを引き回してしまった。勘弁してね。
最終日。04:30起床。05:30ホテル発。08:40台北発。12:00成田着で台北旅行は無事終わる筈でした。
帰りの飛行機は所謂新車で(これは新機とでも言うべきか)、気分も爽快。朝食で朝からビールを頂きました。この先無料のビールなど飲める日がいつくるのか分からないからです。飲兵衛は意地汚いのです。奥さんもビールを頼んで口もつけず私にくれました。これは毎度のことで、私の乞食根性はすっかり読まれているのです。
ビールを2本飲んで、アル中の禁断症状も緩和されたところで、くつろいで音楽など楽しんでおりました。何という幸せな時間なのでしょう。
何か食い合わせでも悪かったのか、口の中が気持ち悪くなって、水を一杯もらいました。うちでは水など勿論セルフサーヴィスですよ。それがここではきれいなねえゃんが、はいどうぞって持ってきてくれる。悪くないねえ。
間もなく機体は成田に向かって下降を始めました。
耳がツーンときたころ、私の膀胱にもツーンときました。そうでなくても頻尿気味なのに、水分の取り過ぎです。
シートベルトはもちもんfastenです。ま、着陸までくらい我慢出来るやろ。この時、恥を忍んででも放出しておけばよかったのです。
ドスンときて、ジェットエンジンが逆噴射を始めたころ、着陸したという安堵と地面から伝わる振動と膀胱の内圧とで、私の前立腺はパニック状態になっておりました。飛行機はゴトゴトゴトゴトと誘導路を走り続け、なかなか止まりません。何だ、このとろさは、格安だから駐機場も遠いのか。と、あらぬところに八つ当たり。ああ、本当に洩れてしまいそう。
やっと停車して、エンジンも止まった。席を立って少し気が紛れたのか楽になる。
ドアが開いてビジネスクラスが動き始め、流れが自分のところに及ぶまでの時間の長さ。さっさと行かんかい。おれは、尿道まで満杯になってるんだぞ。ぞろぞろと並んで歩くもどかしさ。でも、狭いところで列を乱すことは出来ない。
やっと広い通路に出る。はるかかなたにトイレの標示が見えている。
「おれ、洩れそうなんや。急ぐで」
奥さんも左足を引きずりながら、追ってくる。
ジッパーを下ろしながら朝顔に駆け寄って、チン子を引き出した途端、怒涛の激流でありました。
やっと人心付いて外へ出ると、奥さんは何故かおかんむり。
「あんた。私は足が痛いて分かってて、何よあの急ぎようは。旅行も終盤に来て、何か私に嫌がらせでもしなければならんことがあったって言うの」
洩れそうなんや、急ぐで。と言った私のつぶやきは彼女に届いていなかった。
どうでもいいけど、私はこれから自宅まで運転して帰らないと旅は終わらない。気を引き締めて行かないと。
事故もなく、お漏らしもせず、台北旅行は終わった。でも、お漏らしは寸前だったのです。危機一髪。
白菜や豚肉は日本に来ているそうですが、今何処にあるのでしょうか。あのちっぽけな彫り物の何処に価値があるのか分かっていない私には、何かが欠けているのでしょうね。故宮? 二度と行きません。
白菜の裏と表
実は、この旅行、長女からのプレゼントでした。ありがとね。
迷子 [旅行]
赤城山で道を間違えた、大阪の小学校6年生の男女2人。無事下山できて本当によかったですね。沢伝いに降りたことの間違いに気づいて登る方向に歩いたって、判断の冷静さに感心してしまう。えらい!
携帯していた食料を分け合い、身を寄せ合って寒さに耐えた。彼らは普通には遭遇できない貴重な体験をしたのだ。もし2人が互いに憎からず思っている友人同士だったとしたら、この事件で仲は深まるかも。少なくともそれは、彼らの人生最大の思い出になるでしょう。
実は私にも小6のときの修学旅行で同様な体験をしたことがある。現場は山ではなくて島根県の松江市。40名ほどの団体で、博物館や松江城を見学して旅館へ帰る途中だった。
行列の最後尾にいた私たち仲良し6名は、勝手に道草を食ったりして列から離れてしまい、何時しか団体に追いつく術をなくしていた。
6名のグループとあっては心細さもほどほどで、そのうち何とかなるだろうと、だらだらとあてもなく歩き続ける。
疲れがピークになったころ、間違いなくやってくるのが仲間割れ。5対1に割れてしまった。
そうです。1人になったのは私です。
私は旅館を出て間もなく松江大橋という長い橋を渡ったのをはっきり憶えておりました。欄干の柱の頭に付いていた、黒いネギ坊主形の飾りが目に焼きついていたのです。
ひとりになった私は大きな川に出くわす。橋が何本か見えていた。そのうちの1本に違いないと見当をつけてネギ坊主を探しながら、川に沿って歩く。
運よくネギ坊主は間もなく見つかった。旅館へもすぐに帰り着きました。5人組は探しに出た先生に見つけてもらい帰ったばかりでした。6人がこっぴどく叱られたことは言うまでもありません。
橋の下で 今も行われているしじみ漁
昨年10月。玉造温泉での同窓会に出席した私は、ついでに松江に立ち寄り、あのネギ坊主を探しました。博物館や松江城よりも、あのネギ坊主だったのです。
あれは9年前。カンボジアから帰ってきたばかりの私を取り囲む会を、京都でお寺の住職になっていた同級生が世話をやいて開いてくれました。私は海外生活が長くて、定例の同窓会に参加する機会に恵まれずにいたからです。
場所は比叡山の参道脇にある料亭。メンバーは近畿地方在住の十数名。幹事は京都の住職と大阪の建材会社の社長の2人でした。
幹事2人は落ち合う場所を2ヶ所に決める。一つは京都駅は新幹線の乗り換え口。他方は京阪東山三条駅でした。京都駅には大阪の社長が張り付き、東山三条では住職が待ち受けるという態勢です。
関東から出かけるのは私一人のみです。私は新幹線で京都駅に入ったのですが、時間が早すぎたため誰も来ておらず、住職が待つ東山三条へ向かいました。
住職はすぐに見つかり、用意してあった小型バスの中で、昔話に夢中でした。一方京都駅では、社長と落ち合った連中が、新幹線で現れるはずの私を、この便か次の便かと、待ち続けていたのでした。
こうして2時間も空費した後、待ちくたびれた社長が住職と連絡をとり、私が既に東山三条に住職と一緒にいることが分かり、結局2時間半遅れで、全員合流と相なったのでありました。
勝手に動くということが引き起こす混乱は、結構面倒な結果をもたらすものですなあ。
私にはそんな癖でもあるのでしょうか。いや、これも今となってはいい思い出のひとこま、いや、ふたこまなのでした。ごめん。
あの住職は、今、思い出の殆どを忘れてしまい、友人の見分けも出来なくなっているらしい。悲しいねえ。
携帯していた食料を分け合い、身を寄せ合って寒さに耐えた。彼らは普通には遭遇できない貴重な体験をしたのだ。もし2人が互いに憎からず思っている友人同士だったとしたら、この事件で仲は深まるかも。少なくともそれは、彼らの人生最大の思い出になるでしょう。
実は私にも小6のときの修学旅行で同様な体験をしたことがある。現場は山ではなくて島根県の松江市。40名ほどの団体で、博物館や松江城を見学して旅館へ帰る途中だった。
行列の最後尾にいた私たち仲良し6名は、勝手に道草を食ったりして列から離れてしまい、何時しか団体に追いつく術をなくしていた。
6名のグループとあっては心細さもほどほどで、そのうち何とかなるだろうと、だらだらとあてもなく歩き続ける。
疲れがピークになったころ、間違いなくやってくるのが仲間割れ。5対1に割れてしまった。
そうです。1人になったのは私です。
私は旅館を出て間もなく松江大橋という長い橋を渡ったのをはっきり憶えておりました。欄干の柱の頭に付いていた、黒いネギ坊主形の飾りが目に焼きついていたのです。
ひとりになった私は大きな川に出くわす。橋が何本か見えていた。そのうちの1本に違いないと見当をつけてネギ坊主を探しながら、川に沿って歩く。
運よくネギ坊主は間もなく見つかった。旅館へもすぐに帰り着きました。5人組は探しに出た先生に見つけてもらい帰ったばかりでした。6人がこっぴどく叱られたことは言うまでもありません。
橋の下で 今も行われているしじみ漁
昨年10月。玉造温泉での同窓会に出席した私は、ついでに松江に立ち寄り、あのネギ坊主を探しました。博物館や松江城よりも、あのネギ坊主だったのです。
あれは9年前。カンボジアから帰ってきたばかりの私を取り囲む会を、京都でお寺の住職になっていた同級生が世話をやいて開いてくれました。私は海外生活が長くて、定例の同窓会に参加する機会に恵まれずにいたからです。
場所は比叡山の参道脇にある料亭。メンバーは近畿地方在住の十数名。幹事は京都の住職と大阪の建材会社の社長の2人でした。
幹事2人は落ち合う場所を2ヶ所に決める。一つは京都駅は新幹線の乗り換え口。他方は京阪東山三条駅でした。京都駅には大阪の社長が張り付き、東山三条では住職が待ち受けるという態勢です。
関東から出かけるのは私一人のみです。私は新幹線で京都駅に入ったのですが、時間が早すぎたため誰も来ておらず、住職が待つ東山三条へ向かいました。
住職はすぐに見つかり、用意してあった小型バスの中で、昔話に夢中でした。一方京都駅では、社長と落ち合った連中が、新幹線で現れるはずの私を、この便か次の便かと、待ち続けていたのでした。
こうして2時間も空費した後、待ちくたびれた社長が住職と連絡をとり、私が既に東山三条に住職と一緒にいることが分かり、結局2時間半遅れで、全員合流と相なったのでありました。
勝手に動くということが引き起こす混乱は、結構面倒な結果をもたらすものですなあ。
私にはそんな癖でもあるのでしょうか。いや、これも今となってはいい思い出のひとこま、いや、ふたこまなのでした。ごめん。
あの住職は、今、思い出の殆どを忘れてしまい、友人の見分けも出来なくなっているらしい。悲しいねえ。