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お久しぶりです [暮し・健康]

お久しぶりです。
1月2日の新年のご挨拶以来ですので、6ヶ月あまりのご無沙汰でした。
話せば長いはなしがいろいろとありまして、早速でナンですが、更新を怠って
きたことへの言い訳から始めさせていただくことにします。

昨年の11月の末。以前から書き散らかしてあった雑文を整理して、エッセー集
でもでっち上げてみようと思いたち、連日コタツに座り込みパソコンをいじり
続けることになりました。

運動不足が原因したのかどうか、3週間あまり後からひどい便秘が始まったの
です。しかし、その対策を考えるところまでは思い至らず、頭の中は雑文で一杯。

私は快食快便だけが取り柄の愚かな男で、事あるごとにそれを自慢(?)して
きました。ほぼ毎朝やってくる便意とそれにきっちり応える身体。親にも感謝。
ところが極稀に身体がそれを拒否することがあるのです。

強烈な圧迫に抗してそこに居座る糞塊。12月の半ばに始まったそれを排出する
苦行に私は耐えなけねばならなかったのです。毎回1時間以上も便器に座って
気張り続ける。正常値を保持していた血圧も異常に転じたのか、頭痛が始まる。

血管の破裂も危ぶまれる状態。後にドクターから聞いたのですが、これで脳出血
を起こす人は決して少なくないそうです。

頭痛だけではなく、もともと病んでいた痔はひどいことになってしまいました。未知
の本格的脱肛です。こうなる前にどうして医者にかからなかったのか。ことの深刻
さは分かっているのですが、場所が場所だけになかなかふんぎりがつかん。

糞詰りにクリスマスも正月もない。容赦はないのだ。それでも何だかだと言い
ながらアルコールの摂取は止まないのである。三ヶ日があける頃にはもう限界
だったのに。この辺りからブログまで知恵が回らなくなってしまう。

運動もせずに昼間からの飲酒。最悪の生活習慣におちいってちょうど2ヶ月。
ついにやってきたのは大出血。観念して訪れた病院で、どうしてこんなになるまで、
と言われてしまいました。

2ヶ月間座薬を使いながら様子を見て、結果次第で手術を考えましょう、と。
排便コントロール薬と座薬をたっぷり頂いて帰りました。レジ袋に一杯でしたよ。

アルコールは肛門を鬱血させるので、飲酒は控えるように、ですって。

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つづきは明日にします。
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受講:脳卒中の予防と治療 [暮し・健康]

脳卒中の予防と治療に関する講演会に行ってみました。

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実は、我が鹿島市は、医療分野で遅れが目立つと言われてきました。
特に脳外科になると千葉県は旭市まで行かないとどうにもならないと言われていましたし、
私もそう信じておりました。

と言うことは、緊急の事態では間に合わないというリスクを抱えながら、鹿島に住むということです。
また、病院の数は結構あるのに、レベルは低いままであるということでもあります。住民はそれに耐える他ありません。必要になったときには車(含むタクシー)を使って県庁所在地付近か県外まで移動する。

時間との勝負と言われるような状態でも庶民に出来ることは限られているし、入院患者の家族が負担する交通費と時間は大きく家族にのしかかる。頼れる医療施設が近くにあるかないかは大問題なのである。

正直言って、私の場合、もしそうなったら、じたばたせずに諦めも肝心だ、などと思っていたのです。

昨年の初夏。歯の手入れに行った鹿嶋で一番大きな病院で、脳外科の案内を目にしました。
どうせ診察だけして、紹介状を発行する機関だろうと気にもかけずにおりました。
そして今回の講演会。

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杏林大学出のドクターが3人で(うち1人は今年11月から)、25年4月からの18ヶ月で入院数1087人、
手術266件。開頭クリッピング術まで41件もこなしているんですって。
因みにこの病院、うちから徒歩でも15分。これで安心していいのかな。

こんな真面目な心配をしながら、脳裏をかすめるのはこんな情景。
ごく普通の衣料品店のマネキンで、助平用品店ではありません。普通なのね。

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奥さんの左足 [暮し・健康]

2013年1月12日夕方。 埼玉に里帰りしていた奥さんが、軽いびっこを引きながら帰ってきました。両手に荷物をぶらさげて歩いてて、某駅で通路のちょっとした段差につまずき、転倒したらしい。提げていた荷物を放り出して、両手で上半身を支えたお蔭で、顔は路面に激突しなくてすんだようだが、弾みで左足の踝辺りを縁石に打ちつけた。

痛みで身動き出来なかった彼女に、手を差し伸べる人は残念ながら一人も居なかったそうです。冷たい世の中になったものですなあ。変に仏心を出して、面倒に巻き込まれるのは嫌だし、下手すりゃ悪者視されかねない、という風潮が世の人全員の頭を偏らせてしまっているのだ。

ぼくの奥さんは、這いつくばりながら吹っ飛んでいた荷物を拾い集め、たまたま傍にあったベンチで烈しい痛みが去るのを待ったという。可哀そうに、、、、。

もし私がそういう場面に出くわしたら、相手がどんな人であろうとも、声くらいはかけるだろう。深入りは出来ないにしても、荷物を集めてあげ、ベンチに座り込むまでくらいは、手を貸していただろう。絶対にそうありたいと、常々強く思っている。

その少し前、買い物に出かけていた奥さんは、或コンビニの前に、無料配布の食器が出ているのを見つけ、かねがね欲しいと思っていたサイズの皿を2枚頂いたそうだ。正月早々いつにない幸運だったと彼女は大喜び。こいつは春から縁起がいいわってね。

転倒の瞬間、吹っ飛んでいく荷物を目で追いながら、〈あっ、あの皿!〉と思ったという。
スローモーションで飛んでいく荷物と、それをじっと見つめる彼女の映像が目に浮かぶようです。幸いにも皿は無事でしたが、足を痛くしてしまった。何が幸運だったのか。

激痛が去って、なんとか歩けるようになった彼女は、ちんばを引きながら帰って来たというわけです。足はかなり脹れていました。様子を見て、悪くなるようなら病院へ行こうなって話しておりました。「痛みは軽くなったし、歩けるくらいだから、大丈夫だわ、きっと」
と、湿布を施し、鎮痛消炎剤を服用して休む。

翌日朝。彼女の左足首は、膨張も限界かとおぼしきほどに脹れ上がっておりました。痛みは見た目ほどではなく、歩行にも問題はない。「ひどい怪我ならもっと痛むはずだよね。あいにく、今日は日曜日だし、明日は成人の日。病院も連休でしょうから、安静にして様子を見るわ」

翌日、成人の日。脹れはかなり治まって、彼女は平気で歩いている。大丈夫だ、こりゃあ。

1月15日。脹れはすっかり引いている。意識して見ないと分からないほどに。奥さんはメタボの血液検査を受ける時期になっていたので、ついでに足も診てもらおうか、と病院へ行く。

彼女はレントゲン写真と紹介状をもらって出てきた。骨に異常があるから、大病院で精密検査を受けるように、ということらしい。即、そちらへ移動する。

完全な骨折であった。幸いにも骨折した部分は靭帯が骨と繋がっているところで、靭帯がしっかりしているため、痛みも少ないし歩行に支障もない、らしい。骨折しているのに包帯もギブスも不要だという。

これが幸運でなくて、何だと言うの!

以上は昨年の一月に拙ブログにアップした能天気な一文です。
あれからちょうど丸一年。
「去年は正月早々痛い目にあったから、今年はそんなことのないように気をつけなくちゃ」
と、話していた正しくその時期に、奥さんが左膝の痛みを訴え始めました。

痛みは日増しに強くなり、家の中でも杖なしには歩けなくなる。
それでも3ヶ月くらい、あーでもないこーでもない、と言いながら痛みに耐えた後、病院へ。
医者の見立ては、お馴染みの変形性膝関節症でした。
ヒアルロン酸を2週間に一回注入しながら様子を見よう、となりました。

かなりの長期戦になりそうでした。
もっと早く痛みから解放される方法はないのか。
整形外科分野では以前から定評がある医院へ相談にいきました。
その医院では1週間に1回注射ができるので、それだけ早い効果が期待できる、と言う。
もちろん、すぐに乗り換えました。

一方で私は、彼女を週2回プールに連れていって水中歩行訓練をやらせました。
水中での運動はこの種の疾患に大変有効であると聞いていたからです。
彼女がプールにいる間、私は近くにある場外馬券売り場で時間を潰す、という好都合。

こうして2ヶ月間、医師が彼女に言いました。
「これで6回目ですが、効果が見られないのはちょっと普通ではないですなあ。
この程度の関節の状態なら、大体4・5回の注射で痛みが消えて、うちに来なくなるんですよ。
MRIで検査をやり直してみることをお勧めします」

どきり!
レポートを書いてもらって、変形性膝関節症であると診断した病院へ戻り、MRIで再検査。
何と!単なる変形性膝関節症ではなく膝の骨の一部が壊死を起こしているという。

私の脳裏をかすめたのは、昨年正月の奥さんの怪我でした。
あの日の転倒は、足の甲の骨を折っただけではなく、膝関節にもダメージを与えていた。
それを放置した結果、一年かけて骨の壊死が起きた。(私の想像ですがね)

出来るだけ早く手術して、人工関節にするのがベストだと。
簡単に言うけど、骨の一部を金属に取り換えるんですよ。
それ以外に痛みを止める方法がないのなら、1日も早くやってもらおうと結論。
6月2日に奥さんはサイボーグ(?)になりました。

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彼女はあの歳で驚異的な回復を見せ、2週間で杖なしで歩くようになり、16日目に退院した。
プールでの筋トレは無駄ではなかったのです。
さすがに、当初は違和感が大きかったようで、いつも膝を気にしておりました。
私が足に触ると悲鳴をあげるほどだったのですが、3ヶ月半経った今、何不自由なく暮らしています。
只一つ、正座は禁止されていますけど。

膝の痛みに耐えている、特にご婦人は大勢居られるように見受けます。
医師から人工関節を勧められている方、躊躇は無用です。
一日も早く痛みから解放されて、軽快な歩行を楽しみましょう。

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ああ、ついに降参! [暮し・健康]

何だかだと未練がましく様子をみてきた奥歯。ついに年貢の納め時がきて、親知らずとその隣りを抜いてしまいました。後ろの大きいのは象さんの歯です。なんて小さいのでしょう、私のは。手前の右側2本は1年半前に抜いたもので、左側の2本が今回のです。これで4本を失くしたことになります。

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若いときからずっと虫歯がないのが自慢だった私は、歯科医を軽視すると同時に、死ぬまで自分の歯で噛み続けていけると信じて疑いませんでした。そんな人に限って歯槽膿漏で歯が崩れていくのですよ、と警告されていながら、いい気になって、手入れを疎かにし続けてきたのです。

結果、1昨年抜いたところへはブリッジを2本かけています。今年分は場所の都合上ブリッジがかけられない状態です。3月の27日に経過を見て、相談しましょうと言われていますが、どうなりますか。

抜いた歯をよく見ると、3本ある根っこの内側が明らかに腐敗を起こしています。4本とも同じ状態で、これが臭いを発するのでしょうね。口の中に腐敗物を保持しているのですから。はた迷惑な話です。でも本人には臭わないのだから始末が悪い。(不快な話ですみません)

抜歯後の傷が癒えてくるにつれて、口腔内は爽やかさを取り戻しつつあります。これで口臭もなくなってくれるのでしょうか。ま、少しくらい臭ったっていいですけど~、彼女がいるわけじゃないんですから。

大げさな異物を口の中に取付けたりはしたくないし、美人のドクターにお任せです。

どうでもいいですけど、同じパックの中に続けて二つも双子が居るって信じます?

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あれから7ヶ月 [暮し・健康]

新年に入って間もなく、行きつけの歯科医から、葉書が届きました。
前回の治療から半年になるので、そろそろクリーニングと健診を予定されてはいかがでしょうか、という知らせでした。

半年前の治療というのは、歯槽膿漏によると思われる夜間の出血を治してもらった件を指しています。
その後は歯磨きの工夫等で騙し騙しやってきました。
いくら美人の女医さんだといっても、歯茎をほじくってもらうのでは快感はなく、苦痛100%です。
加えて、お世話になっている国保に協力する意味でも、このまま騙しでいけるのなら、死ぬまで騙し続けてやろうかと思っておりました。

葉書を受け取ってからちょうど1ヶ月が経っていました。
以前治療を受けたのと同じところが腫れあがり、ブヨブヨになってきました。
血膿が溜まっているのに違いありません。
こうなってはクリーニングや健診どころではありません。

マスクの上に並んだくりくりの目玉で笑いながら、やってくれましたよ。
病んだ歯に差し込まれる針のような噴水で、歯周ポケットの中を洗われ、消毒されて薬を注入。
痛み止めと抗生物質を処方してもらいました。
1週間様子を見て、どうするか決めましょう、と。

その夜、それまで感じていなかった痛みが始まりました。
痛み止めを飲んでいるので、我慢するしかありません。
1週間我慢し続けて、予約どおりの女医さんに会いにいきました。

「腫れは取れましたね。もう少し様子を見ましょうか。痛みはどうです?」
「それが、痛み続けているんです。もう限界なんで、抜いてもらえませんか」
「そうですか。でも、腫れや痛みがあるうちは抜歯できないんですよ。
腫れはひいているので痛みも取れるでしょう。もう1週間待ちましょう」
また、痛み止めを処方してもらって帰りました。

1週間後。
「変わりはないようですね。痛みはどうです?」
「相変わらず痛くて、夜寝てても痛くて目が覚めるほどです」
「痛みが取れませんか。抜くしかないようですね。
抜歯の時間が何時取れるか調べてみましょう」
「先生、抜歯と決まったら、1日も早くやって欲しいんですが」
「ちょっと待ってくださいね。予定を見てきますから」
女医さんの返事は、2週間先でないとどうにもならない、というものでした。
あと2週間もこの痛みに耐えろというのです。
「先生。痛み止めのロキソニンはどうも私には合わないようなんで、バファリンを処方してもらえないでしょうか。
バファリンは私にはよく効くんですよ」
「ロキソニンは効きませんか。でもバファリンは処方できないんですよ。保険が利きません」
「じゃ、ロキソニンをもらっていきます。
それがなくなったら自分で買ったバファリンを使ってもいいんですね」
「いいですよ。大丈夫ですよ、バファリンでも」

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そして、そのとおりになりました。
一昨日の夕方、バファリンを2錠飲んで間もなく痛みは嘘みたいに消えて、まだぶり返してはきません。
この3週間、私を支配し続けた痛みは何だったのでしょうか。

抜歯も中止しょうかな。
うちの奥さんも息子もロキソニンは効かないと言ってますがね、、、、。
私は何を言おうとしているのでしょうか。
春はもう近い。

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がってん! [暮し・健康]

NHKの番組 がってん! で鼻茸(慢性副鼻腔炎)についてやっていました。特別な思い入れがあって見た訳ではなかったのですが、見ているうちに、それは私のためにやっている番組のように思われてきたのです。
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ひどい鼾、鼻づまり、鼻水、嗅覚減衰、副鼻腔炎と虫歯の関係。鼻づまりだけを除いた全項目が、私に当てはまっているのです。巨大化した茸の映像は、私に魚のはらわたの一部を想起させて、病院行きを決心させるのに充分でした。

酒好きな私にひどい鼾など昔からのことで、生まれつきのようなものです。鼻づまりは今もありません。一番煩わしいのは鼻水で、1時間に1回くらい鼻をかんでいます。特にうちにいる時がひどいようで、もしかしたらハウスシックの一種かもしれません。

副鼻腔炎と歯の関係には、あっと言わされました。歯根は一部、副鼻腔の中へ突き出ていて、副鼻腔は歯の病気の影響を受けやすい構造になっているそうなのです。私は虫歯の経験はないのですが、歯槽膿漏を放置したバチが当たって、3年半前に急性の副鼻腔炎をやったことがあるのです。一晩のうちに片方の頬が腫れあがって、人相が変わっていました。それには歯茎あたりからメスで切れ目を入れ、薬を注入することで解決したのですが、完治せずに潜伏しているのかと心配になってきたのでした。

早速、私の居住地で一番大きな総合病院へ行きました。この病院の駐車場は連日の超満杯で、午前中は警備員が3人がかりで車を誘導しています。誘導無しでは間違いなくパニックが起こるでしょう。待合所も満員で座るところが足りない状態です。そこを埋めている灰色の固まりの連なり。病んでいるのは個々の人間ではなく、社会ぐるみのようで寂しいですなあ。特にその日の耳鼻咽喉科は大混雑で、予約無しの私は2時間待ちを宣告されました。

鼻の穴を広げられて何かをスプレーされ、潜望鏡を刺し込まれました。「鼻水はどんな色をしてます?」「水みたいですけど」「透明ですね?」「はい、そうです」「鼻茸はありませんし、鼻も副鼻腔もきれいですよ。軽い鼻炎でしょうね」「そうですか。少し安心ですが、嗅覚の方はどうでしょうか」「う~ん、それにも目に見える不具合はないのですが、念のため静脈性嗅覚テストをやってみましょう」

私は採血室へまわされて、肘の裏側から何かを注射されました。「何かが臭ってきたら教えてくださいね」と可愛い声を出すおばちゃんに言われたのですが、臭いは注射が終わっても感じられない。「まだ臭いませんか」「うん、何も臭ってこないねえ。どんな臭いがするんかね、普通は」「ビタミン剤みたいな臭いがする筈なんですけど」
耳鼻科へ戻る。患者の数は少し減っていた。

しばらく待たされて、また診察室へ入る。「やはり何処かに異常があるようですね。これは精密検査が必要かもしれないなあ。とりあえず鼻炎の治療をしながら様子を見ましょう。2週間分の薬を出しますので、その結果によって判断をすることにします」 私には了解ですとしか言えません。

病院へ行っても、これは加齢が原因ですなあ、と突き放されそうで、それにさほど深刻な状態でもないので、放置していたのですが、嗅覚の異常に気づいたのは、5月の健康診断の時。検便用の検体を採取するとき「あれ?ずいぶん臭いが弱いなあ」と思った。あのころから排便時にあまり臭わなくなっていた。腋臭も足の臭いもしない。大好きなニンニクも最近は殆ど臭わなくなっている。自分の口臭なんて、もう何年も前から臭ったことがない。

私は半分死んでいるのかもしれません。2週間様子を見ることにしますけど。とほほほ、、、、。

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歯槽膿漏は治る [暮し・健康]

1月10日に夜間の出血問題を診てもらってから、平均して2週間おきくらいの割で通っていた歯槽膿漏の治療が本日:3月8日をもって一応終了した。私の場合のようなこじれにこじれた悪質な歯槽膿漏に完治はあり得ないといわれている通り、望むべくもない完治より騙し騙しで引きずっていこうと思っている私にとってこの上ない結果なのでした。

若くて美人のドクターは、すり減った歯の根元付近にプラスチックを充填し終えた後、私に小さな手鏡を持たせて、
「磨耗がひどかった2箇所はしっかり充填しました。見てください、きれいになったでしょう。これで今回の治療は終わりということで、6ヵ月後に定期診断でまたお会いしましょう」と言ってくれた。

これから6ヶ月間も異常無しでいけるかどうかは私の歳を考えると自信がない。でも、嬉しいじゃないの。あれ以来まる2ヶ月間たいした大治療をしたわけでもないのに、出血も痛みもなくなった。この先半年も経たずにまた悪くなったとしても、私は構わないと思っている。今回と同じように歯の周辺をほじくってもらって腐った血をかき出し、消毒と薬で騙せればそれで充分。(1月10日に投稿した分の一部)

なんて横着なことを考えていたところ、7月になって再発した。助手のような若い子が歯の掃除をしてくれた後、ドクターを連れてくる。「田中さん。あなたきちっと歯の手入れをしていないようね。毎食後、歯間ブラシも使ってちゃんと歯磨きをしてください。でないと又すぐ再発するかもしれないから」 そのころの私は日に1回しか歯磨きをしていなかったのです。

ドクターに注意をされて1ヶ月、またもや再発。ちょうどその頃、あるTV番組で1日5回歯磨きを奨励する報道をやっていました。もっと真剣に歯の手入れをしなければならないのは私ではないのかと悟り、それ以後は食事に関係なく、歯周に不快感が生じたら直ちに歯磨きをすることに決めました。結果的に1日5回に近い状況です。

実は昨年末に夜間の出血問題が起こる少し前、舌の先が痛み始めて、舌の先を刺激していると思われる歯の角の部分を削ってもらったりしたのですが、好転は見られないまま、舌先の裏側に黒いしこりが生じ、血管腫であると診断されるに至ったのです。私なりによく観察していると、歯を磨いた後舌先の痛い部分がピリピリしているのです。30分もするとピリピリ感はなくなる。これは歯磨きクリームの刺激に違いないと判断しました。

それまで使っていたのは、某有名メーカーの歯槽膿漏専用みたいな、歯茎そのものみたいな名前のクリームで、これこそ口腔管理には最適な歯磨きクリームである、と信じて疑わない私でした。すぐに漢方薬系のようなクリームに変更してみました。

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ピリピリ感は全くなし。舌先の痛みはこれで無くなると確信しました。何のために歯を削ってもらったりしたのか、バカみたい。痛みが消えると同時に血管腫もみるみる小さくなり、舌は理想的な健康状態。ただ、どんなにきれいな舌でも、使うところがないのでは、宝の持ち腐れですがね。

歯科医にも行かず、1日5回を始めて約2ヶ月。痛みも出血も止まり、バナナも噛めなかったのに、今ではリンゴくらいなら噛み砕ける。目覚しい改善なのです。このまま、この好ましい状態は続くのでしょうか~。因みに、歯ブラシは山切りビトゥイーンのふつうを2年半前から使っていますけど~。

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緊急時連絡用チャイム [暮し・健康]

「あんた、私ゆうべ心臓が痛くて死ぬかと思ったのよ。大きな声も出せないし、怖くて怖くて、、、、」
おはようさんとも言わないままに、奥さんが私に発した起きぬけの一言です。以前から彼女は不整脈があって時々胸が痛むと言っておりましたが、それで病院へ行くことはもう長い間ありませんでした。

私たちは十数年来寝室を別にしています。だからって、別にどうってことはないんですが、ただ鼾がうるさいとか、息が臭い上に鼻息が顔にひっかかってうっとおしい、といった私自身では致し方のない苦情をかわすために別室に寝る方を選んだだけです。

あの夜、彼女が味わった突発事態はこれまでにない恐怖であったらしい。夫婦で同居していながら、孤独死するのではないかという不安。分からないでもないが、どうせ誰でも一人で死んでいくんだよ。

彼女が考え出した対策は、まず、同じ部屋に寝る。これは前述の理由で却下。次が表題のごとき苦肉の策でした。ベルを鳴らして私を呼ぶってわけです。私にとっては少なからぬ抵抗があったものの、ま、そのくらいは辛抱するかと、ホームセンターへ行く。

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本格的なものは結構値段が高い上に、それなりに格好をつけた細工を必要とする。一番安いのは、奥さんの枕元に押しボタンを置いて、私の部屋でピン・ポンと鳴らす有線のシステム、1080円であった。それを本格的な配線などせずに、夜だけ持ってくるという超レトロ。彼女は毎晩寝る前にチャイムを私の部屋に持ってきて試運転をし、ピン・ポンと作動するのを確認してから安心して眠る。漫画ですなあ。

3日後、今流行の名医番組で、胸の痛みの原因として、逆流性食道炎が話題になっていました。
「あっ、私のアレ、これだわ」何だか訳の分からん高齢者の会話。彼女は長年胸焼けに悩まされているのです。逆流性食道炎であった。

それ以降、彼女は私が言わなければチャイムを持ってこなくなった。「今夜はチャイムは要らないんですか」というと、へへへへと笑いでごまかしながら、持ってくる。

本日、彼女は、2ヶ月に一回やっているコレステロール系の血液検査の折、その胸の痛みについて相談してみたらしい。医者はすかさず胃カメラの実施を勧め、実施日の予約までさせられてしまった。ついでにピロリ菌の有無も見ましょう、と。だから、病院へ行くのは嫌なんだよねえ。この歳になると、何処か此処か悪いところがあるんだよ。きりがないっての。

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関係ないけど立派でしょ。ちょっと立派すぎでしたね。

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ホームヘルパー養成実習3日め [暮し・健康]

朝8時、出発準備を終えて念のため、実習の案内を取り出して実習開始時間を確認してびっくり仰天。なんと8時開始なのであった。

すぐに電話で、遅刻する旨を先方に伝えて家を飛び出す。小雨まじりの、5月としては珍しく気温の低い朝だったが、連休で人々が行楽に出かけたせいか、道路事情は意外にすっきりしており、8時20分に到着。

今回は前回の訪問介護とは異なって、施設での実習である。利用者は男4人、女5人の計9人。施設はまだ新しく、清潔に維持されている。

まず、掃除。3ヶ所ある便所を掃除する。床は案外汚れていて拭き取りに使う雑巾やティッシューがすぐに真っ黒になる。日々の掃除がさほど丁寧に行われているとは思えない。続いて風呂場に隣接した脱衣場兼洗濯室兼用品置き場から始めて、廊下や食堂、利用者の居室の掃除機かけをする。

廊下の一部と利用者の居室一部屋を終えたところで、ストップがかかった。お茶の時間だという。どうやらそれまでに掃除を終えるスケジュールになっているらしい。それでは丁寧にやってる時間はないかなあ。ま、毎日のことだから、さっとやっておけばいいってことかもしれない。それもまた理に適っているのであろう。

お茶のあとの洗い物をしたあとは、これといった仕事がない。入浴介助の見学をする。痩せ細ったばあちゃんの身体が痛々しかった。先日亡くなった義理の母もそうだったのであろうと思う。人は、身体が細くなると同時に命も細り、意識が薄れて死んでいくのだ。

入浴を終えたばあちゃんが、介助の補佐をしている若い兄ちゃんに、あまり見るなよ、と苦言を言ったのには驚いた。この兄ちゃんは新入りでまだ見慣れていないということもあるだろうが、いやな感じだったであろう。誰も好きこのんで、そんなに痩せ衰えた婦人の裸を見ているはずはない。若い女の裸ならいざ知らず。

また、見る影も無くなった身体を人目に晒さなければならないばあちゃんの苦悩もよく分かる。
勿論、普通に考えるところの悪気などばあちゃんにはないだろう。自分が見るに耐える身体を保持していると自負している人なら、そんなきついことは言わないかもしれない。
私は遠くから見学していただけで、よかったと思った。近くにいてそんなことを言われたら、私には消えていくしか方法はない。

これといった用事が見つからず、職員に問うと、その度に、年寄りと一緒に座って話をしてあげて、と言われる。アルツハイマーのAさんは、私は昭和5年、あんたは? と同じ質問を繰り返す。たまたま子供さんが3人揃って見舞いに来られたのだが、そんな筈はない、子供たちが来たのなら俺が知らないわけがない、馬鹿なことを言うもんじゃないよ、と、たった今玄関先まで出て見送った3人の来訪を認められない、一見正気の人なのだ。

大正13年生まれのBさんは、最後の学徒出陣で、南方へ送られる船中で、終戦になり死なずにすんだらしい。ひとつ前の船団で運ばれていた兵隊は殆ど死んでしまったが、自分はぎりぎりのところで助かったと繰り返す。早稲田で土木を勉強していたのだという。

私の義父はそのひとつ前の船団にいたのか、船と一緒にフィリピンの近海に沈んでしまった。悲しいね。

自分の身体が思うように動かないことへの苛立ちに耐え切れずにいる年寄りたちに、救いの手はないのか。気を静めてあげるにはどうしたらいいのだろう。皆さん自分のことは自分でやりたいと思っているのだ。

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義母 [暮し・健康]

昨日の夜8時10分。埼玉に居た義母が98歳で逝った。

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彼女についてはつい先日この場を借りて述べさせて頂いたばかりですが、ここでもう一度書かせていただきます。

うちの奥さんの母親は97歳で現在入院中であす。昨年暮れから、鼻の穴にチューブを通して、栄養を補給している。これは延命措置であって、食事であるとは言えない。確かに、それによって体調は改善するらしい。が、誰でも鼻の穴にチューブを通したまま横たわってなど居たくないだろう。当然チューブを自分で取り外してしまう。

それを止めさせるために、両手をベッドに縛り付けてしまう。強制寝たきり措置である。意識がはっきりしている人間にとってこれ以上の拷問はないだろう。勿論同時におむつの使用が始まる。誇り高く、人間としての尊厳を何よりも大事にしてきた女の悲劇の幕開けであった。

きっかけは、1年半あまり前に始まった膝痛による歩行困難だった。若い頃から太めであった彼女は、それまでは自転車に乗って買い物に出かけるほど活発なばあちゃんだった。それが、遂にその重さに耐えられなくなった膝が音を上げてしまったのだ。ちょっとした膝の治療のための入院が、寝たきりの半植物人間のようになってしまい、認知症も進む。

今、私が祈りたいことは、彼女が、自分は心のこもった介護を受けているのだ、と自覚していること。百歳に近い人生の終わりにきて、ああ、最悪だったなあと振り返るような毎日を送って居て欲しくない。それではあんまりだよ。ここに介護の重要さがある、と私は実感している。私自身はそんな幕引きに耐えられそうにないから。

以上、先日のブログの引用です。
結果的には、強制寝たきり状態にされてしまった義母は、急速に肉が落ちていく。ふくよかだった以前の面影は消え、オリーブオイルを塗られているという身体は骨と皮だけの茶色いミイラ同様になってしまう。2月に入った頃から認知機能は極端に低下。それでも手はベッドに縛りつけられたままだったという。鼻に突っ込まれたチューブがよほど我慢できなかったのであろう。

4月になると腕は縛られていた形で固まってしまい、動かそうとすると痛い痛いと顔をしかめる。この固まるのを廃用症候群というらしい。使わなくなったために起こる病気という意味だそうです。(受講の成果?)

もう誰が誰だか分からないような感じで、じっとこちらを見ている。ひょっとしたら思い出そうと努力していたのかもしれない。そんな状態でも、流し込まれた栄養で生き続ける。辛かっただろう。どんな気持ちでそんな辛さに耐えたのだろう。

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ご冥福をお祈りします。

さようなら おばちゃん



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